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以常見我故 而生恣心 放逸著五欲 堕於悪道中 我常知衆生 行道不行道 随応所可度 為説種種法 毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身          南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経。


by eco_eco69

【御書の要】立正安国論を学ぶ【日蓮仏法】(12)        せいきょう夕刊編

― 立正安国論(6) ―


― 原文 ―

客聊(いささ)か和らぎて曰く

 未だ淵底を極めざれども数其の趣を知る。
 但し華洛より柳営に至るまで
 釈門に枢ケン在り、仏家に棟梁在り。
 然れども未だ勘状を進らせず、上奏に及ばず。

 汝賎身を以て輙く莠言を吐く。
 其の義余り有り。
 其の理謂れ無し。


主人の曰く 

 予、少量為りと雖も忝なくも大乗を学す。
 蒼蝿驥尾に附して万里を渡り碧蘿松頭に懸かりて千尋を延ぶ。
 弟子 一仏之子と生れ諸経之王に事ふ。
 何ぞ仏法之衰微を見て、心情之哀惜を起さざらんや。


 其の上涅槃経に云く

  若し善比丘ありて法を壊る者を見て置いて呵責し
  駈遣し挙処せずんば
  当に知るべし、是の人は仏法の中の怨なり。

  若し能く駈遣し呵責し挙処せば、是れ吾が弟子、真の声聞也。
 

 余善比丘之身為らずと雖も
 仏法中怨之責めを遁れんが為に、唯大綱を撮て粗一端を示す。

 其の上、去る元仁年中に、延暦・興福の両寺より
 度々奏聞を経、勅宣御教書を申し下して
 法然の選択の印板を大講堂に取り上げ
 三世の仏恩を報ぜんが為に之を焼失せしむ。
 法然の墓所に於ては、感神院の犬神人に仰せ付けて破却せしむ。

 其の門弟、隆観・聖光・成覚・薩生等は遠国に配流し
 其の後未だ御勘気を許されず。

 豈に未だ勘状を進らせずと云はん也。



― 解説 ―

【蒼蝿は驥尾に附して】
蒼蝿は、青バエ。驥は一日に千里を走るという駿馬。
わずかしか飛べない青バエも
駿馬の尾につかまっていれば万里を行くことができるという諺。

少量の人物でも大乗を学すことによって
偉大な智慧をもち、働きをすることができるとの意。

【碧蘿は松頭に懸り】
碧蘿は碧羅とも書き、緑色のつたかずらである。
自身では立つことができないが、高い松の木に寄って、千尋の高さに伸びることができる。
少量の凡夫を碧羅に譬え、法華経を松に譬えた譬喩である。



― 現代語訳 ―

客は少し態度をやわらげて次のようにいう。

 いまだ事柄の奥深いところまでは理解できませんが
 およその趣旨はわかりました。

 しかし、京都から鎌倉へかけて
 仏教界には立派な人物が数多くいますが
 まだ このことについて
 朝廷や幕府に進言した人はおりません。

 貴僧が身分をわきまえず軽々しく上奏を企てたことは
 その意気ごみはよくわかりますが、
 道理にはずれた行為というべきで賛成はできません。


主人はいう。

 私は賎しい身分で力不足の者ではありますが
 ありがたいことに 大乗の教えを学んでおります。

 青縄も駿馬の尾にとまっていれば労せずして万里の遠くに行き
 緑の蔦も松の大木にからむことで
 おのずから千尋の高さにまで延びることができます。

 そのように、仏弟子である私は、唯一の仏であります

 教主釈尊の子としてこの世に生まれ
 諸経の王である法華経を学び
 法華経を私の信仰の中心において仕えております。

 それゆえに、たとえ身分が賎しかろうとも
 法華経を学んでいる者として
 正しい仏法が衰えているのを見て悲しまないではいられません。
 何とかして真実の仏法を立てたい
 ・・・と考えるのは当然ではないでしょうか。

 大般涅槃経の寿命品にこうあります。

  たとえ立派な僧であっても
  正法を破る者を見て、これをとがめもせず、追い出そうともせず
  その罪をただそうともしないならば
  この人は仏法の中の怨敵である。


 これに対し

  彼ら謗法の者をきびしく責め、正し、追い出すならば
  これこそ真の仏弟子である。



 私は決っして立派な僧といわれる身ではありませんが
 「仏法の中の怨である」という仏のお吃りを受けたくないために
 ただ その大要をとって一端を述べるにすぎないのであります。

 その上、去る元仁年間(1224~1225)には延暦寺と興福寺から
 たびたび念仏停止の秦状が上呈されたので
 嘉禄三年(1227)には朝廷から勅宣、幕府から御教書が下って
 選択集の板木を比叡山の大講堂に取りあげ
 三世の諸仏の御恩を報じるためにといって、これを焼却させ
 法然の墓は祇園神社の御輿かきに命じてこわさせたのです。

 また法然の弟子である
 隆観・聖光・成覚・薩生らは遠国に流されて
 その後 まだ許されていません。


 このような前例をもってしても
 なお上奏した者がいないといえるでしょうか。


(参考資料と現代語訳)
http://park5.wakwak.com/~soka/risshou.htm
http://www.sattva.jp/data/g-list2.html
http://www4.ocn.ne.jp/~sen0001/gosyo02b.html
(関連スレ)
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1131439444/


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by eco_eco69 | 2007-04-17 08:13 | 立正安国論