以常見我故 而生恣心 放逸著五欲 堕於悪道中 我常知衆生 行道不行道 随応所可度 為説種種法 毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身          南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経。


by eco_eco69
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我が青年よ!大願を起こせ! 「私がやる!」 「必ず成し遂げる」と

本日は新世紀を開き行く ≪全国青年部幹部会≫
・・・・・ そして 『全国学生部幹部会』
本当におめでとう!

未来部の皆さんもご苦労様です。


私と青年部の魂の間には、何の夾雑物も無い
一対一で結ばれている。

私は青年を信ずる
一点の曇りもなく 我が弟子を信じている。

青年には、限りない がある。
それは 誠実だ!正義だ!勇気だ!

青年には、誇り高き使命 がある。
それは 行動だ!前進だ!勝利だ!

どうか 君たちよ!!
あなた達よ!!

青春の生命の本領 を大いに発揮し
私と共に
広宣流布の新時代を
断固として勝ち飾ろうではないか!!



私は19歳で 自ら願って
戸田先生の弟子となった!


この方こそ!
人類の平和と幸福の道を開かれてゆく 大指導者であられる
世界一の大師匠であられる

・・・・・・・ そう心に定めた。

未だかってない宗教革命の道である
正義の中の正義である

法華経の行者に仕えれば悪口罵詈もある
猶多怨嫉の大難もある
三類の強敵の迫害もある

御聖訓には

仏になる道は必ず身命をすつるほどの事ありてこそ
仏にはなり候らめと・をしはからう

( 佐渡御勘気抄 堀日亨 編纂 新偏御書 P.891 )

・・・・・と、御本仏の仰せのままに
創価の師弟は あらゆる悪戦苦闘を突き抜けた

師と愛弟子の2人きりの死闘だった。

阿修羅となって
一心不乱に戦い抜いた
あの 一日 一日 が すべて
今の血となり 肉となった


嵐の中に厳として凱歌が轟いた!


私は恩師のもとで
若き広宣流布の巌窟王として戦いきった青春を
三世永遠の誉れ・・・と感謝してやまない


草創の ある日ある時・・・・・
20人ほどの青年の集いに、恩師は望まれた

戸田先生は厳然と
広宣流布は私がやる!
・・・と、叫ばれた

そして・・・

「君たちも一人ずつ言いたまえ!!」

・・・・と 強く促され

全員が一人ずつ
「広宣流布は私がやります」・・・と 口にしていった。

中には臆病な目弱々しい声の青年もいた

先生は その青年達の実像
じっと御覧になっておられた。


私は立った・・・・

「先生!! 広宣流布は
必ず 私の手で 成し遂げます!!」
全生命からのお誓い を 申し上げた。


私には“戸田先生しか”なかった

他の弟子がどうであれ
先輩がどうであれ
そんな事は まったく 関係なかった


師匠との出会いより60年・・・・・・・
生死を越えて師弟不二で戦い続け

世界広布の基盤
私は磐石に完成させた


仏法は 観念でもない、抽象論でもない
行動であり 
結果である


師匠に弟子が勝利を誓う
そして必ず勝つ!!


この“誓願”と“勝利”に こそ
大仏法の血脈は流れ通うのだ!!


だからこそ 私は「初代から2代へ2代から3代へ」と・・・・・・・・

命を賭して受け継いできた
「広宣流布の血脈」を今!!

青年部の君たちに託したい



初代、牧口常三郎先生と3代の私には、何歳の年齢差があるか?
それは57歳である

そして、この私と同じ年齢の差がある世代こそ 
今の青年部、学生部の君たちの世代である。


3代から、我が真性の弟子である21世紀の青年部へ

厳粛な師弟の相伝の時代
既に入っていることを
聡明なる君たちは、深く
また深く自覚し
自負していって いただきたい



蓮祖は、若き南条時光に宛てた手紙で叫ばれた!!

※ 願わくは我が弟子等・大願を をこせ・・・
[ 上野殿御返事 (弘安2年御作) 堀日亨 編纂 新偏御書 P.1561]

我が青年よ!若き弟子達よ!
私と同じ心で
今こそ大願を起こせ!!

人類の希望である
広宣流布の全責任を受け継ぐのは
君たちである!


我が青年部の健康と大活躍
そして勝利と栄光を心から祈っております。

親孝行を忘れずに!

職場で!大学で!地域で社会で・・・
そして世界で
堂々と信頼の旗を打ちたてよ!!


断固として
勝ち抜け!!

(2007年10月21日朝 富士を仰ぎつつ 池田大作) 


せいきょう夕刊より この御書について

このお手紙を認めた背景には
富士郡下方荘熱原郷にて法難が起きており
この事を鑑みると
南条家の近隣で起きた法難でもあるので
鎌倉幕府に捉われの身になってしまった 神四郎、弥五朗、弥六郎を含め
熱原地域の在家信者たちにも 大願を叫ばれたものと判断する
尚、この御書では、追申と言う形で 下記の文章で結んでいる

此れは あつわら の事のありがたさに申す返事なり
[ 上野殿御返事 (弘安2年御作) 堀日亨 編纂 新偏御書 P.1561]


【熱原の法難】

富士郡下方荘熱原郷(現在の富士宮市)にて 起きた
在家信者の弾圧事件

その中でも神四郎、弥五朗、弥六郎は熱心な信者で
幕府の弾圧にも屈しなかった為
残念ながら首を撥ねられ処刑されてしまった
尚、この時、大聖人の弟子であった大進房と三味房が
反旗を翻している

またこの事により 機が熟したと判断され
弘安2年10月12日に
一閻浮代総与三大秘宝の大御本尊が御図顕あそばされた


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by eco_eco69 | 2007-10-30 14:46 | 資料