以常見我故 而生恣心 放逸著五欲 堕於悪道中 我常知衆生 行道不行道 随応所可度 為説種種法 毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身          南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経。


by eco_eco69
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― 立正安国論(7)(現代文)


客は主人の言葉を聞いて
さらに態度をやわらげて次のようにいう.

 私には法然が
 「経典を軽んじたり僧を謗ったりしているかどうか?

 ・・・は、はっきりと断定はできません。

 しかし、すべての大乗経典と
 すべての仏や菩薩や神々を
 捨・閉・閣・抛の四字をもって捨てたことは
 その言葉はもちろんであり その文章は顕かです。

 だからと言って
 そのわずか四字くらいの瑕をとりあげて
 法然を謗法の者だと
 そしるのはいかがかと思われます。

 貴僧が迷っていわれているのか?
 覚っていわれているのか?
 よくわかりません。

 貴僧のお考えが正しくすぐれているのか
 法然が愚かで誤っているのか
 いずれとも決められません。

 ただし
 「災難の起こる原因が選択集にある」
 ・・・という御主張は
 先ほどから、盛んに文証をあげていただく事で
 だんだんわかって来ました。

 思うに、国は仏法によって繁栄し
 仏法は人によって貴ばれるものです。

 要するに
 世の中が平和であり、国土が安穏であることは
 国王から民衆にいたる
 すべての人びとの願いであります。

 もし国が滅び、人がなくなってしまったならば
 いったい誰が仏法を崇め信じるでしょうか。

 ・・・で ありますから
 まず国家の安穏を祈って
 その後に
 仏法の流布をはかるべきであると思われます。

 そこで、もし災難を除く方法があるならば
 どうかお聞かせ願いたいものです。


主人は言う。

 私はまことに愚かな者であって
 災難をはらい除く方法はよくわかりませんが
 仏の弟子でありますから
 仏の教えにもとづいて経文を本として
 少しばかり考えていることを述べてみたいと思います。


 およそ災難をはらい除く方法は
 仏教にも仏教以外の教えにもいろいろとあって
 具体的にあげることはむずかしいのです。

 しかし、他の教えはおいて
 仏教の中でいえば

 正法を謗る人を禁じて
 正法を信ずる人を重んずるならば
 国中は安穏で天下は泰平になるであろう


 ・・・と私は考えるのです。


 涅槃経大衆所問品には
 次のように説かれています。

  仏が純陀の問いに答えて言われるには

  人に施すということは非常に善いことであるが
  施してはならない者が一人あって
  この一人を除くすべての者には
  どのような人であろうと
  施しをすることは善いことで功徳は多い
  ・・・と。

  その一人とはどういう人のことであるか?
  ・・・と、純陀は質問した。

  仏は

  それは この経の中に説く破戒の者である
  ・・・と答えられた。

  純陀はさらに

  私にはよく意味がわからないが
  どういうことか?
  もう少しくわしくお説きいただきたい
  ・・・と願った。

  そこで仏は

  破戒とは一闡提(いっせんだい)のことである。
  一闡提を除くすべての者に施すことは
  善いことであって
  みなほめたたえ大果報を得るであろう
  ・・・と答えられた。

  純陀は再び

  一闡提とはどういうことですか?
  ・・・と質問すると、

  仏は言う。

  純陀よ、出家者や在家者が
  口汚い言葉で正法をそしる大罪を犯し
  なおかつ、それを悔い改めない者。

  このような者を一闡提というのである。

  もしも殺生、盗み、不義の交わり
  妄語の四つの重罪を犯し
  父母を殺し、僧を殺し、仏を傷つけ
  僧団を破壊する五つの逆罪を犯して
  このような重罪を犯したと知りながら
  怖れる心もなく、繊悔の心もなく
  自ら罪を告白しようともしない者。

  仏の正法を護り大切にする心もなく
  これを弘めようとする志もなく
  かえってそしったり、軽蔑したりする者。

  このような者を一闡提というのである。

  この一闡提だけを除いて
  その他のすべての者に施すことは
  善いことであり
  すべてほめたたえられるであろう。


 また涅槃経聖行品には

  私は昔
  この人間の世界に生まれて大国の王となった。
  その名を仙予と言った。

  大乗経典を大切にし、敬い
  心は素直で
  ねたみ・惜しみ・怨むといった気持ちはなかった。
  弟子たちよ
  私はその時、大乗仏教を重んじていた。

  しかし
  異端の教えを説く婆羅門
  大乗の教えをそしるのを聞いて
  ただちに、その者の命を断ってしまった。

  弟子たちよ。
  しかし、正しい教えを護った この功徳によって
  それから後は地獄に堕ちることはなかった。


 また同じく 涅槃経梵行品には
 次の様に説かれています。

  仏が昔、国王となり 菩薩の修行をしていたとき
  多くの婆羅門の命を断ったことがある。


 同じく 涅槃経梵行品に
 次のように説かれています。

  殺生に上中下の三種類ある。

  下の殺生というのは 蟻のようなもの を はじめ
  あらゆる畜生を殺すことである。

  ただし
  菩薩が衆生を救うため
  畜生に身を変じている場合は
除かれる。

  下の殺生をした因縁によって
  地獄・畜生・餓鬼に堕して、下の苦しみを受ける。

  それはなぜか?

  どんな生物でも微かながら
  仏性を持っているからである。

  この理由で 畜生を殺せば
  地獄・餓鬼・畜生に堕ちる罪の報いを受ける


  中の殺生というのは、
  凡夫から再び欲界に還ってこない
  ・・・という
  悟りの境地に達した
  聖者にいたるまでの人を殺すこと
である。

  その結果
  地獄.餓鬼.畜生に堕ちて
  下の殺生よりも重い苦しみを受ける。

  上の殺生というのは
  父母や声聞や縁覚や菩薩を殺すことである。
  この報いはもっとも重く
  無間地獄に堕ちるのである。

  このように三種の殺生があるけれども
  一闡提を殺すことはその中に含まれない。

  異端の教えを説く婆羅門たちは
  正法をそしる一闡提であるから
  彼らを殺しても
 罪にはならないのである。



 また 仁王経受持品には
 次のように説かれています。

  仏が波斯匿王に云われるには
  仏法を護り伝え弘めることを
  すべての国王に委嘱して
  僧および尼たちには委嘱しないのである。
  
  なぜならば
  僧たちには国王のような威力がないからである。



 また 涅槃経寿命品には
 次のように説かれています。

  今、最高の正法をすべての国王や
  大臣や役人やその他
  僧俗の仏弟子たちに委嘱する。

  正法をそしる者があれば
 みな力を合わせて
 徹底的に
 根絶しなければならない。


 さらに同じく 涅槃軽金剛身品には
 次のように説かれています。

  迦葉よ
  私が仏となり
  金剛の仏身を成就することができたのは
  過去の世において正法を護ったからである。

  弟子たちよ。
  正法を護る者は
 五戒を守らなくとも
 威儀を整えなくとも

  まず刀や弓や鉾をとるべきである。


 また同じ
 金剛身品の別の箇所では
 次のように説かれています。

  五戒を持っても大乗の人とはいえない。
  たとえ五戒を守らなくても
  正法を護る者は大乗の人だといえる。

  正法を護る者は
 刀や杖を持たねばならない。
 刀や杖を持つといっても
 それは戒を持つと同じである。


 また 同じ金剛身品には
 過去の護法の因縁を 次のように説かれています。

  弟子たちよ。
  過去の世、この拘戸那城に
  歓喜増益如来という仏がおられた。

  歓喜増益如来という
  この仏が入滅されてから無量億年も
  正法が滅びなかった。

  その正法が滅びようとする時に
  覚徳という戒律を堅く持った僧が現われた。

  その時に
  多くの破戒の僧たちもいた。
  破戒の僧たちは
  覚徳が正法を説くのを聞いて
  憎しみの心を生じ
  刀や杖をもって覚徳を迫害した。

  この時の国王は名を有徳といったが
  この事件を聞いて
  正法を護るために覚徳の所にかけつけ
  破戒の悪僧たちと戦った。

  その時、ついに覚徳を救い出した。
  王は、全身に刀傷をあびて
  傷を受けない場所は
  少しもなかった。


  その時、覚徳はこれを見て 王を誉めて行った。

  ブラボー!ブラボー!

  王よ
  あなたは真に正法を護る人である。
  未来の世には
  必ず無量の力を具えた説法者となるであろう。

  王はこれを聞いて非常に喜び
  やがて命終わって阿シュク仏の国に生まれた。
  そして、その仏の第一の弟子となった。

  また、その王の家来で
  王とともに戦った者、これを見て喜んだ者は、すべて
  真の仏道を求める心を起こして
  その心をひるがえさなかった。
  命終わって後
  ことごとく阿シュク仏の国に生まれた。
  覚徳も命終わって後
  同じく阿シュク仏の国に生まれて来る事ができた。

  そして、この仏の第二の弟子となった。

  これ等は過去の世の話であるが
  いかなる世でも
  もし、正法が滅びようとする時は
  このようにして
  正法を譲らなければならない。


  迦葉よ
  その時の有徳王とは 私のことである。
  法を説いた覚徳比丘とは迦葉仏である。

  迦葉よ
  正法を護る者には このような無量の果報が得られる。

  この過去の因縁によって、私は今
  種々の相好をもって飾り
  決して破壊されることのない
  法の身を成就することができたのである。

  仏は迦葉菩薩に告げた。

  だから、正法を護る在家信者たちは
  刀や杖などの武器をもって
  仏法を守護しなければならない。


  私が入滅して後の濁悪の世には
  国は乱れて互いに奪い合い
  人民は飢えに苦しむであろう。

  その時に食を得たいばかりに
  出家して僧となる者が多いであろう。

  このような者を禿人(とくにん)
  すなわち頭だけを丸くして
  心は俗のままである者と言うのだ。

  この禿人たちは正法を護る者を見ては追放し
  殺したり、迫害したりするであろう。

  だから、私は、戒律を持つ出家僧
  武器をもった在家の者と一緒になって
  正法を護ることを許すのである。

  武器をもっていても
  戒を持つと同じである。


  ただし
  刀や杖を持っていても
  みだりに人の命を断ってはならない。



 法華経譬喩品には こうある。

  この経を信じないで毀り破る人は
  全人類の、仏になる種を滅ぼすものである。
  (中略)
  〔この経を読み、書し、持つ者を見て
  軽んじ、憎み、ねたみ、恨みをいだく者の罪の報いは〕

  その人は命終わって後に
  無間地獄に堕ちる
であろう。



 以上のように 経文は明らかであります。
 このうえ私の言葉を付け加える必要はありません。

 法華経に説かれるとおりならば
 大乗経典を謗る者
 量りしれない五逆罪を犯すよりも 罪が重いのです。


 ゆえに
 無間地獄に堕ちて
 永久に浮かび上がること

 できないでしょう。


 また、涅槃経に説かれるとおりならば
 五逆罪を犯した者に供養することは許しても
 正法を謗る者に布施することは
 許されないのです。


 蟻を殺した者でも 必ず三悪道に堕ちるけれども
 謗法の者を殺せば
 必ず不退転の菩薩の位に達し仏になれる
というのです。

 昔、謗法の者に迫害されても
 正法を弘めた覚徳比丘とは
 後の迦葉仏の事です。
 謗法者を殺して正法を護った有徳王は
 後の釈迦牟尼仏です。


 法華経・涅槃経に説かれる教えは
 釈尊一代仏教のもっとも大切な肝心生命であり
 八万法蔵の中心眼目であります。

 その禁は実に重大であります。
 誰がこれを守らない者がありましょうか。

 ところが、謗法(ほうぼう)の人びとは
 正法を伝える人を無視し
 そのうえ、法然の選択集にだまされて
 智恵の目を閉ざされてしまったのです。

 そして、ある者は
 法然をしのんで木像や絵画に表わし
 ある者は選択集の邪説を板木に彫り
 印刷して天下に弘めています。

 彼等が仰ぐ所は
 浄土念仏の家風だけであります。

 彼等が供養するのは
 法然の流れをくむ者だけであります。 

 さらに、ある者は
 釈尊の手の指を切り取って弥陀の印相に改めたり

 ある者は
 薬師如来のお堂を改めて阿弥陀如来を安置したり

 ある者は
 慈覚大師以来四百余年続いてきた
 法華経書写の修行をやめて 浄土三部経を書写したり、

 ある者は
 天台大師報恩の講会をやめて
 善導の講としてしまいました。

 このような輩は数えきれないほどであります。

 これこそ まさしく
 仏を破り、法を破り、僧を破る
 大謗法ではないでしょうか。


 これらの邪義の根本は選択集にあるのです。

 ああ、仏の真実の禁に背くことは
 実に悲しむべきことであります。

 法然のような愚かな僧たちの
 人の心を迷わせる邪説に従っていることは
 実に哀れむべきことであります。

 一日も早く 天下を穏やかにしたいと思うならば
 何よりもまず国じゅうの謗法を禁じなねばなりません。


(参考資料)
http://park5.wakwak.com/~soka/risshou.htm
http://www.sattva.jp/data/g-list2.html

(関連スレ)
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1131439444/


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by eco_eco69 | 2007-04-23 08:25 | 立正安国論
― 立正安国論(7)(原文) ―


客則ち和らぎて曰く 

 経を下し僧を謗ずること、一人として論じ難し。

 然而れども 大乗経六百三十七部・二千八百八十三巻
 竝びに一切の諸仏・菩薩・及び諸の世天等を以て
 捨閉閣抛の四字に載す。
 其の詞勿論也。其の文顕然也。
 此の瑕瑾を守りて其の誹謗を成す。

 迷ふて言う歟、覚りて語る歟、愚賢弁たず、是非定め難し。

 但し災難之起りは選択に因る之由
 盛んに其の詞を増し、弥いよ其の旨を談ず。

 所詮天下泰平国土安穏は君臣の楽ふ所、土民の思ふ所也。
 夫れ国は法に依て昌へ、法は人に因って貴し。
 国亡び人滅せば、仏を誰か崇むべき。法を誰か信ずべき哉。

 先づ国家を祈りて須らく仏法を立つべし。
 若し災を消し難を止むるの術有らば聞かんと欲す。


主人の曰く

 余は是れ頑愚にして敢えて賢を存せず。
 唯経文に就いて聊か所存を述べん。

 抑そも治術之旨、内外之間、其の文幾多ぞや。
 具さに挙ぐべきこと難し。

 但し 仏道に入て数愚案を回らすに
 謗法之人を禁じて、正道之侶を重せば
 国中安穏にして天下泰平ならん。


 即ち涅槃経に云く

  仏の言く 
  唯一人を除きて余の一切に施さば皆讃歎すべし。

  純陀問うて言く
  云何なるをか名づけて唯除一人と為す。

  仏の言く 
  此の経の中に説く所の如きは破戒なり。

  純陀復言く 
  我今未だ解せず。唯願くは之を説きたまえ。

  仏、純陀に語りて言く 
  破戒とは謂く 一闡提なり。
  其の余の在所一切に布施するは皆讃歎すべし大果報を獲ん。

  純陀復問いたてまつる
  一闡提とは其の義云何。

  仏の言く 
  純陀、若し比丘及び比丘尼・優婆塞・優婆夷有って、粗悪の言を発し
  正法を誹謗し、是の重業を造りて永く改悔せず
  心に懺悔(さんげ)無からん。

  是の如き等の人を名づけて一闡提の道に趣向すと為す。

  若し四重を犯し五逆罪を作り
  自ら定て是の如き重事を犯すと知れども
  心に初より怖畏・懺悔無く肯て発露せず。

  彼正法に於て永く護惜建立之心無く
  毀呰軽賎して言に禍咎多からん。

  是の如き等を亦一闡提の道に趣向すと名づく。

  唯此の如き一闡提の輩を除きて其の余に施さば一切讃歎すべし。

 又云く

  我往昔を念うに、閻浮提に於て大国王と作れり。
  名を仙豫と曰いき。
  大乗経典を愛念し敬重し
  其の心純善にして・粗悪嫉悋有ること無し。
  善男子、我爾の時に於て心に大乗を重んず。

  婆羅門の方等を誹謗するを聞き。
  聞き已て即時に其の命根を断つ。
  善男子、是の因縁を以て是れ従り已来地獄に堕せず。

 又云く

  如来、昔、国王と為りて菩薩道を行ぜし時
  爾所の婆羅門の命を断絶す。

 又云く

  殺に三有り、謂く下中上なり。
  下とは蟻子乃至一切の畜生なり。
  唯菩薩示現生の者を除く。

  下殺の因縁を以て
  地獄・畜生・餓鬼に堕して、具さに下の苦を受く。
  何を以ての故に。
  是の諸の畜生に微の善根有り。
  是の故に殺さば具さに罪報を受く。

  中殺とは凡夫人従り阿那含に至るまで
  是れを名づけて中と為す。
  是の業因を以て
  地獄・畜生・餓鬼に堕して、具さに中の苦を受く。

  上殺とは
  父母 乃至 阿羅漢・辟支仏畢定の菩薩なり。
  阿鼻大地獄の中に堕す。

  善男子、若し能く一闡提を殺すこと有らん者は
  即ち此の三種の殺の中に堕せず。
  善男子、彼の諸の婆羅門等は一切皆是れ一闡提なり。

 巳上。


 仁王経に云く

  仏波斯匿王に告げたまわく。
  是の故に諸の国王に付属して、比丘・比丘尼に付属せず。
  何を以ての故に 王の威力無ければなり。

 巳上。


 涅槃経に云く

  今無上の正法を以て
  諸王・大臣・宰相及び四部の衆に付属す。
  正法を毀る者をば
  大臣・四部之衆、応当に苦治すべし。
 
 又云く

  仏の言く 
   迦葉能く正法を護持する因縁を以ての故に
   是の金剛身を成就することを得たり。

   善男子、正法を護持せん者は五戒を受けず
   威儀を修せずして、応に刀剣・弓箭・鉾槊を持すべし。

 又云く

  若し五戒を受持せん之者有らば、
  名づけて大乗の人と為すことを得ず。
  五戒を受けざれども正法を護るを為って乃ち大乗と名づく。
  正法を護る者は、応当に刀剣・器杖を執持すべし。
  刀杖を持つと雖も我是れ等を説きて名づけて持戒と曰ん。

 又云く

  善男子、過去之世に此の拘尸那城に於て
  仏の世に出でたまふこと有き。
  歓喜増益如来と号す。

  仏涅槃の後正法世に住すること無量億歳なり。

  余の四十年仏法の末、爾の時に一の持戒の比丘有り。
  名を覚徳と曰う。

  爾の時に多く破戒の比丘有り。
  是の説を作すを聞き、皆悪心を生じ
  刀杖を執持して是の法師を逼む。

  是の時の国王、名を有徳と曰う。

  是の事を聞き已って護法の為の故に
  即便、説法者の所に往至して
  是の破戒の諸の悪比丘と極めて共に戦闘す。
  爾の時に説法者厄害を免るることを得たり。

  王、爾の時に於て身に刀剣鉾槊之瘡を被り
  体に完き処は芥子の如き計も無し。
  爾の時に覚徳尋いで王を讃て言く 

  善哉善哉。

  王、今真に是れ正法を護る者なり。
  当来之世に此の身当に無量の法器と為るべし。
  王是の時に於て法を聞くことを得已って心大いに歓喜し
  尋いで即ち命終して阿シュク仏の国に生ず。
  而も彼の仏の為に第一の弟子と作る。

  其の王の将従・人民・眷属戦闘すること有りし者
  歓喜すること有りし者、一切菩提之心を退せず。
  命終して悉く阿シュク仏の国に生ず。  
  覚徳比丘却って後、寿終わりて亦
  阿シュク仏の国に往生することを得。
  而も彼の仏の為に声聞衆の中の、第二の弟子と作る。

  若し正法尽きんと欲すること有らん時
  応当に是の如く受持し擁護すべし。
  迦葉、爾の時の王とは則ち我が身是れなり。
  説法の比丘は迦葉仏是れなり。

  迦葉、正法を護る者は是の如き等の無量の果報を得ん。
  是の因縁を以て
  我今日に於て種種の相を得て以て自ら荘厳し
  法身不可壊の身を成ず。

  仏、迦葉菩薩に告げたまわく。
  是の故に
  法を護らん優婆塞等は応に
  刀杖を執持して擁護すること是の如くなるべし。

  善男子、我涅槃の後
  濁悪之世に国土荒乱し互いに相抄掠し人民飢餓せん。
  爾の時に多く飢餓の為の故に発心出家するもの有らん。
  是の如き之人を名づけて禿人と為す。

  是の禿人の輩、正法を護持するを見て
  駈逐して出ださしめ、若しは殺し、若しは害せん。

  是の故に、我今持戒の人
  諸の白衣の刀杖を持つ者に依て、以て伴侶と為すことを聴す。
  刀杖を持つと雖も、我是れ等を説きて名づけて持戒と曰はん。
  刀杖を持つと雖も応に命を断ずべからず。

 法華経に云く

  若し人信ぜずして 此の経を毀謗せば 則ち一切世間の仏種を断ぜん 
  乃至 其の人命終して 阿鼻獄に入らん。

 巳上。


 夫れ経文顕然なり。

 私の詞何ぞ加へん。

 凡そ法華経の如くんば
 大乗経典を謗ずる者は無量の五逆に勝れたり。

 故に
 阿鼻大城に堕して永く出づる期無けん。
 涅槃経の如くんば
 設ひ五逆之供を許すとも、謗法之施を許さず。

 蟻子を殺す者は必ず三悪道に落つ。
 謗法を禁むる者は定めて不退の位に登る。
 所謂覚徳とは是れ迦葉仏なり。
 有徳とは則ち釈迦文也。

 法華・涅槃之経教は一代五時之肝心也。
 其の禁め実に重し。
 誰か帰仰せざらん哉。

 而るに謗法の族、正道之人を忘れ
 剰へ法然之選択に依て弥いよ愚痴之盲瞽を増す。

 是れを以て
 或は彼の遺体を忍びて木画之像を露し
 或は其の妄説を信じて莠言を之模に彫り、
 之を海内に弘め之を・郭外に翫ぶ。
 仰ぐ所は則ち其の家風。

 施す所は則ち其の門弟なり。

 然る間
 或は釈迦之手指を切りて弥陀之印相を結び
 或は東方如来之鴈宇を改めて西土教主之鵝王を居え
 或は四百余回之如法経を止めて西方浄土之三部経と成し
 或は天台大師の講を停めて善導の講と為す。

 此の如き群類其れ誠に尽くし難し。

  是れ破仏に非ず哉。
  是れ破法に非ず哉。
  是れ破僧に非ず哉。

 此の邪義は則ち選択集に依る也。

 嗟呼悲しい哉、如来誠諦之禁言に背くこと。
 哀れなり矣、愚侶迷惑之粗語に随ふこと。
 早く天下之静謐を思はば須らく国中之謗法を断つべし矣。



― 解説 ―

【懺悔】
過去の罪悪を悟って、悔い改めること。
観普賢菩薩行法経には『若し懺悔せんと欲せば端坐して実相を思え、衆罪は霜露の如し、慧日能く消除す』とある。

【四重】十悪業のなかで、とくに重い殺生、偸盗、邪淫、妄語の四。

【五戒】
小乗教でいう八斎戒とともに俗男俗女のために説かれる戒で

一に不殺生戒、
二に不偸盗戒、
三に不妄語戒、
四に不邪淫戒、
五に不飲酒戒

・・・をいう。

【阿シュク仏】
東方歓喜国の教主で、阿 仏国経、大宝積経、悲華経、観仏三味経、維摩経等に出てくるが
法華経化城喩品第七では、大通智勝仏の十六王子の第一、智積王子の後身と説かれている。

【諸の白衣】
昔、インドで出家の仏弟子は、いわゆる穢色の糞掃衣を着たのに対して
出家しない一般人は白い衣を着ていたので、在家の信者を白衣というようになった。

【三悪道】地獄、餓鬼、畜生をいう。

【不退の位】
仏道修行において
どんな誘惑や迫害があっても、退転しないでかならず成仏の境涯へ進むという位。

【善導の講】中国善導大師の思想を学ぶ勉強会。

【誠諦】
誠とは真実。諦とは明らかにする、究めるという意味。
仏が自ら深く究め、明らかにした真理。


(参考資料)
http://park5.wakwak.com/~soka/risshou.htm
http://www.sattva.jp/data/g-list2.html

(関連スレ)
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1131439444/
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by eco_eco69 | 2007-04-18 10:52 | 立正安国論
― 立正安国論(6) ―


― 原文 ―

客聊(いささ)か和らぎて曰く

 未だ淵底を極めざれども数其の趣を知る。
 但し華洛より柳営に至るまで
 釈門に枢ケン在り、仏家に棟梁在り。
 然れども未だ勘状を進らせず、上奏に及ばず。

 汝賎身を以て輙く莠言を吐く。
 其の義余り有り。
 其の理謂れ無し。


主人の曰く 

 予、少量為りと雖も忝なくも大乗を学す。
 蒼蝿驥尾に附して万里を渡り碧蘿松頭に懸かりて千尋を延ぶ。
 弟子 一仏之子と生れ諸経之王に事ふ。
 何ぞ仏法之衰微を見て、心情之哀惜を起さざらんや。


 其の上涅槃経に云く

  若し善比丘ありて法を壊る者を見て置いて呵責し
  駈遣し挙処せずんば
  当に知るべし、是の人は仏法の中の怨なり。

  若し能く駈遣し呵責し挙処せば、是れ吾が弟子、真の声聞也。
 

 余善比丘之身為らずと雖も
 仏法中怨之責めを遁れんが為に、唯大綱を撮て粗一端を示す。

 其の上、去る元仁年中に、延暦・興福の両寺より
 度々奏聞を経、勅宣御教書を申し下して
 法然の選択の印板を大講堂に取り上げ
 三世の仏恩を報ぜんが為に之を焼失せしむ。
 法然の墓所に於ては、感神院の犬神人に仰せ付けて破却せしむ。

 其の門弟、隆観・聖光・成覚・薩生等は遠国に配流し
 其の後未だ御勘気を許されず。

 豈に未だ勘状を進らせずと云はん也。



― 解説 ―

【蒼蝿は驥尾に附して】
蒼蝿は、青バエ。驥は一日に千里を走るという駿馬。
わずかしか飛べない青バエも
駿馬の尾につかまっていれば万里を行くことができるという諺。

少量の人物でも大乗を学すことによって
偉大な智慧をもち、働きをすることができるとの意。

【碧蘿は松頭に懸り】
碧蘿は碧羅とも書き、緑色のつたかずらである。
自身では立つことができないが、高い松の木に寄って、千尋の高さに伸びることができる。
少量の凡夫を碧羅に譬え、法華経を松に譬えた譬喩である。



― 現代語訳 ―

客は少し態度をやわらげて次のようにいう。

 いまだ事柄の奥深いところまでは理解できませんが
 およその趣旨はわかりました。

 しかし、京都から鎌倉へかけて
 仏教界には立派な人物が数多くいますが
 まだ このことについて
 朝廷や幕府に進言した人はおりません。

 貴僧が身分をわきまえず軽々しく上奏を企てたことは
 その意気ごみはよくわかりますが、
 道理にはずれた行為というべきで賛成はできません。


主人はいう。

 私は賎しい身分で力不足の者ではありますが
 ありがたいことに 大乗の教えを学んでおります。

 青縄も駿馬の尾にとまっていれば労せずして万里の遠くに行き
 緑の蔦も松の大木にからむことで
 おのずから千尋の高さにまで延びることができます。

 そのように、仏弟子である私は、唯一の仏であります

 教主釈尊の子としてこの世に生まれ
 諸経の王である法華経を学び
 法華経を私の信仰の中心において仕えております。

 それゆえに、たとえ身分が賎しかろうとも
 法華経を学んでいる者として
 正しい仏法が衰えているのを見て悲しまないではいられません。
 何とかして真実の仏法を立てたい
 ・・・と考えるのは当然ではないでしょうか。

 大般涅槃経の寿命品にこうあります。

  たとえ立派な僧であっても
  正法を破る者を見て、これをとがめもせず、追い出そうともせず
  その罪をただそうともしないならば
  この人は仏法の中の怨敵である。


 これに対し

  彼ら謗法の者をきびしく責め、正し、追い出すならば
  これこそ真の仏弟子である。



 私は決っして立派な僧といわれる身ではありませんが
 「仏法の中の怨である」という仏のお吃りを受けたくないために
 ただ その大要をとって一端を述べるにすぎないのであります。

 その上、去る元仁年間(1224~1225)には延暦寺と興福寺から
 たびたび念仏停止の秦状が上呈されたので
 嘉禄三年(1227)には朝廷から勅宣、幕府から御教書が下って
 選択集の板木を比叡山の大講堂に取りあげ
 三世の諸仏の御恩を報じるためにといって、これを焼却させ
 法然の墓は祇園神社の御輿かきに命じてこわさせたのです。

 また法然の弟子である
 隆観・聖光・成覚・薩生らは遠国に流されて
 その後 まだ許されていません。


 このような前例をもってしても
 なお上奏した者がいないといえるでしょうか。


(参考資料と現代語訳)
http://park5.wakwak.com/~soka/risshou.htm
http://www.sattva.jp/data/g-list2.html
http://www4.ocn.ne.jp/~sen0001/gosyo02b.html
(関連スレ)
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1131439444/


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by eco_eco69 | 2007-04-17 08:13 | 立正安国論
― 立正安国論(5) (回答)

主人咲み止めて曰く

 辛きを蓼葉に習ひ、臭きを溷厠に忘る。
 善言を聞きて悪言と思ひ、謗者を指して聖人と謂ひ
 正師を疑ふて悪侶に擬す。

 其の迷ひ誠に深く、其の罪浅からず。

 事の起りを聞け。
 委しく其の趣を談ぜん。

 釈尊説法之内、一代五時之間、先後を立てて権実を弁へず。
 而るに曇鸞・道綽・善導 既に権に就いて実を忘れ
 先に依て後を捨つ。

 未だ仏教の淵底を探らざる者なり。
 就中、法然其の流れを酌むと雖も、其の源を知らず。

 所以は何ん。
 大乗経六百三十七部・二千八百八十三巻
 竝びに 一切の諸仏菩薩
 及び諸の世天等を以て捨閉閣抛之字を置いて
 一切衆生之心を蕩す。 
 是れ偏に私曲之詞を展べて、全く仏経之説を見ず。

 妄語之至り、悪口之科、言ひても比い無く責めても余り有り。

 人皆其の妄語を信じ、悉く彼の選択を貴ぶ。
 故に浄土之三経を崇めて衆経を抛ち
 極楽之一仏を仰ぎて諸仏を忘る。
 誠に是れ諸仏諸経之怨敵、聖僧衆人之讎敵也。

 此の邪教広く八荒に弘まり周く十方に偏す。

 抑そも近年之災を以て往代を難する之由、強ちに之を恐る。
 聊か先例を引いて汝の迷ひを悟すべし。


 止観の第二に史記を引いて云く

  周の末に被髪袒身にして礼度に依らざる者有り。

 弘決の第二に此の文を釈するに左伝を引いて云く

  初め平王之東遷するや
  伊川に髪を被る者野に於て祭るを見る。
  識者の曰く 百年に及ばずして、其の礼先づ亡びぬと。

 爰に知んぬ。徴前に顕れ災後に致ることを。
 又

  阮籍逸才にして蓬頭散帯す。
  後に公卿の子孫皆之に教い、
  奴苟相辱しむる者を方に自然に達すといい
  ソン節兢持する者を呼んで、田舎と為す。

  司馬氏の滅ぶる相と為す。

 巳上。


 又、慈覚大師の入唐巡礼記を案ずるに云く

  唐の武宗皇帝會昌元年
  敕して章敬寺の鏡霜法師をして、諸寺に於て
  弥陀念仏の教を伝えしむ。

  寺毎に三日巡輪すること絶えず。
  同二年、回鶻国之軍兵等唐の堺を侵す。
  同三年、河北之節度使忽ち乱を起こす。
  其の後、大蕃国更命を拒み回鶻国重ねて地を奪う。
  凡そ兵乱秦項之代に同じく、災火邑里之際に起る。

  何に況んや武宗大に仏法を破し、多く寺塔を滅す
  乱を撥ること能わずして遂に以て事有り。

 巳上 取意。


 此れを以て之を惟ふに
 法然は、後鳥羽院の御宇、建仁年中之者也。
 彼の院の御事既に眼前に在り。

 然れば則ち大唐に例を残し吾が朝に証を顕す。
 汝疑ふこと莫れ、汝怪しむこと莫れ。
 唯須らく凶を捨てて善に帰し、源を塞ぎ根を截るべし矣。



― 解説 ―

【司馬氏】
中国の司馬一族。280年、江南の呉を滅ぼして天下を統一したが
諸侯の内乱と、外からは五胡の侵入をうけて、三一六年、四代で滅亡した。

【入唐巡礼記】
慈覚大師が承和五年六月十三日、太宰府を出帆して入唐してから
同十四年七月、筑前に入港するまでの十年間の日記であり巡礼紀行文。



― 現代語訳 ―

主人はにっこりと笑って客を止めていう。

 俗に蓼食う虫も好きずきといい、臭いもの身知らずともいうように、
 その事に染まってしまうと事の是非善悪がわからなくなって
 善い言葉を聞いても悪と思い
 正法を謗る人を見ても聖人といい
 正しい師を見ても悪僧と疑ったりするものです。


 その迷いはまことに深く
 その罪はきわめて重いものです。

 まず事の起こりをよくお聞きなさい。
 くわしく法然の謗法のありさまをお話ししましょう。

 釈尊一代五十年の説法には、前後の順序があり
 方便の教えと真実の教えとの区別があります。
 釈尊は人びとの機根に合わせて
 やさしい教えから深い教えへと説き進み
 最後に本意を述べられたのが法華経であります。


 しかし、曇鸞・道綽・善導らは、
 先に説いた方便権教を取って 後に本意を述べられた
 法華実教を忘れて捨ててしまったのです。

 彼らは、まだ

 仏教の根底を究めていない
 未熟な者といわざるをえません。


 ことに法然は浄土三師の流れをくむ者ですが
 彼らと同じく仏教の根源が
 法華実教にあることを知らないのです。


 なぜならば

  すべての大乗経典と仏・菩薩・神々を

  捨てよ
  閉じよ
  閣けよ
  抛てよ


  ・・・の、四字を説いて
 多くの人びとの心を迷わせているからです。

 しかし、これは
 法然一人が 自分勝手に曲げて解釈した言葉であり
 まったく 仏説にもとづいていません。


 その妄語・悪口の罪は他に比べるものもなく
 責めても責めつくせません。

 人びとは みな 法然の間違った説を信じ
 選択集を尊んで、浄土三部経だけを崇めて
 他の諸経を捨て
 極楽世界の阿弥陀仏だけを拝んで
 他の諸仏を忘れてしまいました。

 法然こそが 諸仏諸経の怨敵であり
 聖僧や大衆の敵であります。


 ところが今やこの邪教が広く天下に弘まってしまったのです。

 貴殿は私が

 近年の災いを昔の罪だ
 法然の謗法が原因だ


 ・・・と非難したことをひどく恐れているようですが
 それは間違いです。

 少しばかり先例を引いてその根拠があることを証明して
 貴殿の迷いを晴らしてあげましょう。


 天台大師の
 摩訶止観第二に史記を引用して 次のように記しています。

  周の代の末に、髪を乱し、衣を着ないで
  礼儀をかまわない者たちがいた。


 この文を妙楽大師は
 摩訶止観弘決に春秋左氏伝を引用して
 次のように解釈しています。

  周の平王が外敵に侵略されて都を東へ遷すとき
  伊川のほとりで髪を乱した者が野に立って
  祭をしているのを見る。

  太夫の辛有が言うには
  百年の後にはこの地も周の領土ではなくなるかもしれない。
  それは礼儀がすでにすたれてしまっているからだと。


 これらの文からわかるように
 災いの前には必ずその前兆が現われるものです。
 また摩訶止観には
 前の文に続いてこのように記しています。

  阮籍はすぐれた才能のある人であったが
  つねに髪をのばし、帯も締めずに生活していた。
  そこで公卿の子弟たちもこれにならって
  下品な言葉でののしりあったり
  礼を無視することが自然であるといい
  かえって礼儀を守り慎み深い者を田舎者と軽蔑した。

  これが司馬氏の滅びる前兆である ・・・と。



 また慈覚大師の入唐求法巡礼行記には
 次のようなことが記されています。

  唐の武宗皇帝の会昌元年(841)
  章敬寺の鏡霜法師に勅命を下して、念仏の教えを広めさせた。

  三日ずつ各等々で弥陀念仏の浄業を巡回し行なわせたところ、
  同二年にはウイグル国の兵が唐の国境を侵略し
  同三年には河北の節度使が反乱を起こした。
  その後、大蕃国(チベット)も
  唐の命令を拒否し、ウイグルが重ねて唐の領地を侵略した。

  このような戦乱の続いたことは
  秦から漢へと移る時代と同じで
  兵火によって多くの村や里が災難にあった。

  それだけでなく
  武宗は仏教を迫害し、多くの寺塔を破却したので
  反乱を収めることができず
  ついに自分の命にも及んだのである ・・・と。
  (以上、文意をとったもの)



 このように中国の歴史を見て
 日本の現実に照らし合わせて考えてみますと
 法然は後鳥羽上皇の建仁年間(1201~1204)の人であり
 後 鳥羽上皇が 隠岐の島に配流されたこと
 眼前たる事実であります。

 念仏が災難の原因をなすということは
 唐にその実例があり
 日本にもその証拠が顕われています。

 疑ってはいけません。怪しんではいけません。
 近年のうち続く災難を除くためには、何よりもまず
 念仏の凶を捨てて 法華経の善に帰依し、
 災難の原因である謗法の根源を断ち切らなければなりません。


(参考資料と現代語訳)
http://park5.wakwak.com/~soka/risshou.htm
http://www.sattva.jp/data/g-list2.html
http://www4.ocn.ne.jp/~sen0001/gosyo02b.html
(関連スレ)
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1131439444/


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by eco_eco69 | 2007-04-15 08:34 | 立正安国論

不毛な王蛇??

創価学会池田会長発言 「庶民の王者」の意味不明

「庶民の王者と在ってください
・・・と 解釈したのは 私だけなのか?

温家宝首相と創価学会池田大作名誉会長との会談より
https://al.ssl.dai2ntv.jp/blog/nocut/2007/04/post_194.html

光栄デス!うれしいデス!
  政治だけじゃなくて、  
  庶民の 王者 と あって下さい!
  庶民は 大事ですよー



― 創価学会の正式コメント
(庶民の王者と)会ってください 

― 聖教新聞 (2007/4/13付)
http://www.imgup.org/iup366296.jpg
うれしいです。庶民の王者に会ってください


ちょww創価学会までソレが正式な見解なの??
勘弁してくれよぅうー

それと聖教のニュアンスが正しいんだとしたら
ありゃアドリブじゃないんか??

2ちゃんねるでも 彼是 書いたけれど
庶民の王者と言うのは、誰を指すのか?
結局、受け手にとっては 曖昧になってしまい 結局 曲解され
時期が時期だけに 解釈が2転3転してしまい 現時点でも、不毛な状態
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1176386298/I50

でも、やっぱり あの雰囲気は 励ますつもりで 
それを言っていたような気がするよ

ニュースやインターネットや
石原都知事の発言等を見ても判るが
中国の状況は、ハインリッヒの法則の構図そのままで
文化革命以来のツケが廻りに回って
更にインターネットの介入などで
今や政府の方がついていけない状態
下手すれば
天安門以来の政府転覆だって起きかねないしねー

それを考慮すると、やっぱり同じ立場に立たされたら
その手の事を言うかも知れない

ただアテクシの場合だったら
庶民の王者 いてください。庶民は味方ですよ」とか
庶民の王者 在って下さい。庶民は味方ですよ
・・・と、接続詞を変えるけれど 
それを考えると やっぱり
庶民の声を聞いてあげてください」と言う意味合いなのか・・・


なんだか訳がわからないので とりあえずココへクリック
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by eco_eco69 | 2007-04-14 08:27 | Usual topics
― 立正安国論(5) ―


― 原文 ―


客殊に色を作して曰く

 我が本師釈迦文浄土の三部経を説きたまふてより以来
 曇鸞法師は四論の講説を捨てて一向に浄土に帰し
 道綽禅師は涅槃の広業を閣きて、偏に西方の行を弘め
 善導和尚は雑行を抛ちて専修を立て

 恵心僧都は諸経之要文を集めて念仏之一行を宗とす。
 弥陀を貴重すること誠に以て然なり矣。

 又往生之人其れ幾ばくぞ哉。

 就中、法然聖人幼少にして天台山に昇り
 十七にして六十巻に渉り、竝びに八宗を究め
 具さに大意を得たり。

 其の外一切の経論七遍反覆し
 章疏伝記究め看ざること莫く
 智は日月に斉しく徳は先師に越えたり。

 然りと雖も、猶お出離之趣に迷ひ、涅槃之旨を弁へず。
 故に遍く覿、悉く鑒み、深く思ひ、遠く慮り
 遂に諸経を抛ちて、専ら念仏を修す。

 其の上一夢之霊応を蒙り四裔之親疎に弘む。

 故に或は勢至之化身と号し、或は善導之再誕と仰ぐ。
 然れば則ち十方の貴賎頭を低れ、一朝の男女歩を運ぶ。

 爾来春秋推し移り、星霜相積もれり。

 而るに忝なくも釈尊之教えを疎にして、恣に弥陀之文を譏る。
 何ぞ近年之災を以て聖代之時に課せ
 強ちに先師を毀り更に聖人を罵るや。

 毛を吹きて疵を求め、皮を剪りて血を出だす。
 昔より今に至るまで、此の如き悪言を未だ見ず、惶るべし慎むべし。

 罪業至って重し。
 科條争でか遁れん。

 対座猶お以て恐れ有り、杖を携えて則ち帰らんと欲す矣。



― 解説 ―

【恵心僧都】
十三歳で得度し、源信と名のった。
四十三歳で「往生要集」三巻をつくり、念仏の行を宣揚した。



― 現代語訳 ―


客はいちだんと怒り、顔色を変えていう。

 われらの本師釈尊が浄土三部経を説かれてから
 中国の曇鸞法師は四論の講説をやめて浄土の教えに帰依し
 道綽禅師は涅槃経を捨てて 只ひたすら西方往生の行を弘め
 善導和尚雑多な修行をなげうって専ら念仏を修したのです。

 また日本の恵心僧都は諸経の要文を集めて
 念仏の一行だけが肝心であるとしました。

 このように中国や日本の立派な先師たち
 阿弥陀仏を尊重しているのであります。

 また念仏によって往生をとげた人も数多くおります。

 その中でも、法然上人は幼少の時から比叡山に登り
 十七歳で天台の三大部六十巻を学び、八宗の教義を究めました。

 そのほか
 一切経を七回もくり返して読まれ
 注釈書や伝記類までも究めないものはありません。
 智恵の明らかなことは日月に等しく
 徳の高いことは先師たちを越えています。


 それでもなお生死の迷いを離れることができないため
 広く 浄土の先師の書を読み
 時代や機根をよく考えて
 深く浄土門の修行しやすいことに思いをめぐらせ
 遠く聖道門の悟りがたいことを考えあわせて

 その結果
 ついに諸経をなげうって専ら念仏を修行されたのです。

 そのうえ
 善導和尚の夢のお告げを得て、広く念仏を広めたのです。

 そこで人びとは勢至菩薩の化身であるとも
 また善導大師の再誕であるとも仰いで尊信したのです。

 天下の人びとは
 その教えを聞こうと 頭を低くして そのもとを訪れたのです。

 それ以来、数十年の年月が過ぎました。

 それにもかかわらず
 貴僧はもったいなくも釈尊の説かれた浄土三部経を軽んじ
 阿弥陀仏の誓願をそしられることは
 まことにおそれ多いことです。

 どうして近年の災難を
 法然上人の念仏流行の時代の罪だといって
 無理に曇鸞・道綽・善導などの先師をそしり
 さらに法然上人をののしるのですか?

 例えていえば
 毛を吹いて疵を探し、皮をこすって血を出す ようなもので
 余計なせんさくです。

 今まで このような悪口雑言は聞いたことがありません。
 まことに恐ろしいことですし、慎しむべきことです。

 その罪はきわめて重いでしょう。
 科はとうてい逃れられません。

 こうして対座していることさえ恐ろしいことですから
 私はこれで中座して帰ろうか と思います。


(参考資料と現代語訳)
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by eco_eco69 | 2007-04-14 03:05 | 立正安国論
― 立正安国論(4) (回答)


― 現代語訳 ―

主人がいう。

 後鳥羽上皇の時代に 法然房 源空 という方が
 選択集という書物を著わしました。
 これにより、釈尊一代の尊い教えを破って
 多くの人びとを迷わせてしまったのです。

 その選択集には次のように記されています。

  道綽禅師の安楽集には
  仏教を聖道門と浄土門の二門に分けて
  
  聖道門を捨てて浄土門に入るべきである。

  ・・・と説いています。

  その聖道門には大乗教と小乗教の二つがあり
  ―中略
  大乗教の中にも顕教・密教、権教・実教の区別があり
  道綽は
  小乗教と大乗教の中の顕教と権教とを聖道門としました。

  しかし、私(法然)が考えるに、この文から推測すれば
  当然、密教実大乗教
  聖道門の中に含まれるべきであります。
  ―中略
  そう考えれば、今の世に信仰されている
  真言・禅・天台・華厳・三論・法相・地論・摂論の八宗は
  みな聖道門の中に入り、捨てられるべきものです。

  さらに曇鸞法師の往生論註には
  謹んで竜樹菩薩の十住毘婆沙論を読むと、

  菩薩が覚りを求めるのに、二種類の道がある。
  一つは難行道、もう一つは易行道である。

  この難行道とは聖道門のことである。
  易行道とは浄土門のことである。

  浄土宗を学ぶ者は何よりも先に聖道と
  浄土、難行と易行の区別を知らんねばならない。
  たとえ以前から聖道門を学んでいる人でも
  もし浄土往生を志すならば
  きっぱりと 聖道門を捨てて 浄土門へ入らねばならない。


 また選択集第二章には次のようにいっています。
 
  善導和尚は観無量寿経疏

  正行・雑行の二種の修行法を立て
  雑行を捨てて正行に入らねばならない

  ・・・と説いている。

  第一の読誦雑行とは
  往生浄土を説いた
  観無量寿経・大無量寿経・阿弥陀経の三部経以外の
  大乗・小乗、顕教・密教の諸経を信じたり
  読んだりすることである。

  第三の礼拝雑行とは
  阿弥陀如来以外の諸仏・菩薩・諸天などを
  拝んだり敬ったりすることである。

  私(法然)はこう考える。

  善導和尚がいわれたことは
  すべての雑行を捨てて
  専ら念仏の正行を修行すべきである と 勧められたものだ。

  百人が百人ともに往生できる と いう
  専修念仏の正行を捨てて
  千人に一人も成仏できない と いう雑修雑行に
  どうして執着する必要があるだろうか。
  仏道を修行しようとする者はよくこのことを考えなさい。


 また選択集の第十二章には次のように記されています。

  貞元入蔵録という 唐の貞元年間(785~805)に編集された
  経典の目録に記載されている
  最初の 大般若経六百巻から 最後の 法常住経にいたるまでの
  637部2,883巻のすべての大乗経典は

  ことごとく観無量寿経にいう
  読誦大乗の一句に収められてしまう。

  したがって
  仏が方便として教えを説かれる場合には やむをえず
  当分の間、定散二善のさまざまな修行の門が開かれている
  仏がみずからの本懐にしたがって真実を述べられる場合には
  定散の二門は閉じられ廃止されてしまう。

  末法の衆生の前に
  一度開いて永遠に閉じられることのないのは
  ただ念仏の一門だけである。


 また選択集の第八章には次のように記されています。

  念仏の行者は必ず 至 誠心・深心・回向発願心 の
  三種の心を具えなければならない

  ・・・と言うことが観無量寿経に説かれている。

  この経を善導が注釈した書物の中に、このようにある。

  仏法の理解と修行の不同を主張し
  念仏によって往生はできないという邪見雑行の人があって
  念仏の行者の信心を妨げる。
 
  南と北に火と水の恐ろしい河があり、
  その中間を東から西へ細い道が一本走っている。
  西方を志す旅人がその道を行くと
  東岸の群賊たちが危険だから引き返せと叫んでいる。

  この群賊たちが呼び返すという譬えは
  念仏によって往生できないという邪見雑行の人が
  念仏の行者を妨げることを譬えたものである。

  私(法然)が考えるに、この注釈の中で

  念仏の行者と学解を異にし、修行を異にし
  学問や思想識見を異にする者 

  ・・・というのは、聖道門を指すのである。


 また選択集の最後の、結びの文には次のように記されています。

  速く生死の苦しみから離れようと思うならば
  聖道・浄土二門のすぐれた教えのうち
  聖道門は覚りがたいから
  しばらくこれを閣(さしお)いて、浄土門を選ぶべし。
  浄土門に入ろうと思うならば、正行・雑行二種の修行法のうち
  すべての雑行をなげうって念仏の正行に帰依しなさい。


 以上に引用した選択集の諸文を見ますと

 法然は曇鸞・道綽・善導の誤った解釈を引いて
 聖道門と浄土門という教えの区別
 難行道と易行道という修行の区別を立てて
 法華経および真言をはじめ
 釈尊一代のあらゆる経々と あらゆる諸仏・諸菩薩および神々を
 すべて聖道門・難行道・雑行の中におさめ

 「捨てよ」
 「閉じよ」
 「閣(さしお)け」
 「抛(なげう)て」


 ・・・と命じており

 この四字を教えて多くの人びとを迷わしています。

 そればかりでなく
 
 インド.中国・日本の聖僧や仏弟子をすべて群賊だ!

 ・・・と罵っているのです。


 このような言葉は
 近くは法然が依りどころとしている浄土三部経の
 
 五逆罪を犯した者と正法を謗った者とは往生できない

 ・・・という 阿弥陀如来の誓いの文に 背き
 また遠くは
 一代仏教の中心である 法華経第二巻の譬喩品 の  
 
 もし、この経を信ぜずにそしる人は、死後、無間地獄に落ちる。

 ・・・という釈尊の誡めの文に背くものであります。


 さて、今の世は末世であり
 人びとも愚かで聖人ではありませんから
 みな 迷いの道 に入りこんで
 覚りへの道を忘れてしまっています。


 悲しいことには
 誰も その誤りを指摘し 迷いを さまそうとはいたしません。
 痛ましいことには 間違った信仰がますます広まっています。


 したがって
 上は国王から下は一般民衆にいたるまで
 みな経は 浄土三部経以外にはなく
 仏は 阿弥陀三尊しかない と 思っています


 その昔、伝教・義真(弘法)・慈覚・智証などの先師たちは
 万里の波濤を渡って唐に入り
 各地の山川を回って 仏像や経巻を日本へもたらし
 比叡山の頂に 堂塔を建てて 安置し
      あるいは
 深い谷に寺塔を建てて 仏像を崇めました。


 また、比叡山の東塔と西塔には
 薬師如来と釈迦如来とが安置されて
 現在だけでなく 未来までも威光を及ぼし
 横川には 虚空蔵菩薩 と 地蔵菩薩が祀られて
 教化利益の力は後生にまで施されました。


 だからこそ国主や地頭は
 土地や田畑を寄進して供養を捧げたのであります。


 ところが 法然の選択集が世に出てからは
 人びとは この娑婆世界の 教主釈尊を忘れ
 西方極楽世界の 阿弥陀如来を貴び
 伝教大師から続いてきた薬師如来は 捨てられ
 ただ浄土三部経だけを依りどころとして
 釈尊一代の経典はすべて捨てられてしまいました。


 そして阿弥陀堂でなければ供養も捧げず
 念仏の行者でなければ
 布施もしないようになってしまったのです。


 その為、仏堂は荒れはて
 僧房を訪れる人もなく、ただ雑草ばかり茂っています。
 それでも惜しいと思う者はなく、再建しようとする者もありません。


 このようなありさまですので
 住持の僧は逃げて帰らず、守護の善神も去ってしまいました。

 これらは みな 法然の選択集から
 起こったことです。

 
 まことに悲しむべきことには
 法然の選択集に著わされてから 現在にいたるまで数十年の間
 多くの人びとがこの魔説に迷わされ
 仏教の正道を失ってしまいました。


 傍系を好んで正統を忘れるならば
 守護の善神も必ず怒るに相違ありません。

 円満な正しい法華経を捨てて、
 かたよった邪な浄土念仏を信ずるならば
 悪鬼が入りこんで
 日本国を混乱させることは間違いありません。


 それゆえに
 さまざまな祈祷を修して災いを除くことを祈るよりも
 この災いの根源である念仏を禁止することが
 まず第一に為されなければならないのです。



(参考資料と現代語訳)
http://park5.wakwak.com/~soka/risshou.htm
http://www4.ocn.ne.jp/~sen0001/gosyo02b.html
(関連スレ)
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1131439444/
(参考意見)
目からウロコ仏教入門

読んでいて
「なぁ~んだ、今の創価学会と同じじゃん」・・・と思った方
「捨てよ」「閉じよ」「閣(さしお)け」「抛(なげう)て」
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by eco_eco69 | 2007-04-11 16:39 | 立正安国論
― 立正安国論(4)(回答)


― 原文 ―

主人の曰く 

 後鳥羽院の御宇に法然といふもの有り。
 選択集を作る矣。
 則ち一代之聖教を破し遍く十方之衆生を迷はす。


 其の選択に云く

  道綽禅師
  聖道・浄土の二門を立て、聖道を捨てて正しく浄土に帰する之文。

  初に聖道門とは、之に就て二有り。
  乃至 之に准じて之を思ふに、応に密大及以び実大をも存すべし。
  乃至 然れば則ち
  今の真言・仏心・天台・華厳・三論・法相・地論・摂論・
  此れ等八家之意、正しく此に在る也。

  曇鸞法師の往生論註に云く 
  謹んで龍樹菩薩の十住毘婆沙論を案ずるに云く 

  菩薩阿毘跋致を求むるに二種の道有り。
  一には難行道・二には易行道なり。

  此の中に難行道とは即ち是れ聖道門也。
  易行道とは即ち是れ浄土門也。

  浄土宗の学者先づ須らく此の旨を知るべし。
  設ひ先より聖道門を学ぶ人なりと雖も
  若し浄土門に於て其の志有らん者は  
  須らく聖道を棄てて浄土に帰すべし。

 又云く

  善導和尚
  正・雑二行を立て雑行を捨てて正行に帰する之文。

  第一に読誦雑行とは
  上の観経等の、往生浄土の経を除きて已外
  大小乗顕密の諸経に於て
  受持読誦するを悉く読誦雑行と名づく。

  第三に礼拝雑行とは上の弥陀を礼拝するを除きて已外
  一切の諸仏菩薩等及び諸の世天等に於て
  礼拝恭敬するを悉く礼拝雑行と名づく。

  私に云く 

  此の文を見るに須らく雑を捨てて専を修すべし。
  豈に百即百生の専修正行を捨てて
  堅く千中無一の雑修雑行に執せん乎。
  行者能く之を思量せよ。

 又云く

  貞元入蔵録の中に始め大般若経六百巻より
  法常住経に終わるまで
  顕密の大乗経総じて六百三十七部・二千八百八十三巻也。
  皆須らく読誦大乗之一句に摂すべし。
  当に知るべし
  随他之前には暫く定散の門を開くと雖も
  随自之後には還て定散の門を閉ず。
  一たび開いて以後永く閉じざるは、唯是れ念仏の一門なり。

 又云く

  念仏の行者必ず三心を具足すべき之文
  観無量寿経に云く 

  同経の疏に云く 

  問うて曰く
  若し解行の不同、邪雑の人等有って外邪異見之難を防がん。
  或は行くこと一分二分にして群賊等喚び廻すとは、即ち
  別解・別行・悪見の人等に喩う。

  私に云く 

  又此の中に一切の別解・別行・異学・異見等と言うは
  是れ聖道門を指すなり。

 巳上。


 又最後結句の文に云く

  夫れ速やかに生死を離れんと欲せば
  二種の勝法の中に且く聖道門を閣きて選んで浄土門に入れ。
  浄土門に入らんと欲せば
  正・雑二行の中に且く諸の雑行を抛ちて選んで応に正行に帰すべし。

 巳上。


 之に就いて之を見るに
 曇鸞・道綽・善導之謬釈を引いて聖道浄土・難行易行之旨を建て
 法華・真言を以て總じて
 一代之大乗六百三十七部・二千八百八十三巻
 一切の諸仏菩薩及び諸に世天等を以て
 皆 聖道・難行・雑行等に摂して

  或は捨て
  或は閉じ
  或は閣き
  或は抛つ。

 此の四字を以て多く一切を迷はし
 剰へ三国之聖僧、十方之仏弟を以て
 皆 群賊と号し併せて罵詈せしむ。

 近くは所依の浄土三部経の、唯除五逆誹謗正法の誓文に背き
 遠くは一代五時之肝心たる法華経の第二の

  若し人信ぜずして
  此の経を毀謗せば、乃至、其の人命終して阿鼻獄に入らん

 の誡文に迷ふ者也。


 於是に、代末代に及び、人聖人に非ず。
 各冥衢に容りて、竝びに直道を忘る。

 悲しい哉、瞳矇をうたず。
 痛しい哉、徒に邪信を催す。

 故に上国王より下土民に至るまで
 皆経は浄土三部之外の経無く
 仏は弥陀三尊之外の仏無しと謂えり。

 仍って 伝教義真慈覚智証
 或は万里之波涛を渉りて渡せし所之聖教
 或は一朝之山川を廻りて崇むる所之仏像、
 若しは高山之巓に華界を建てて以て安置し
 若しは深谷之底に蓮宮を起てて以て崇重す

 釈迦薬師之光を竝ぶる也。
 威を現当に施し、虚空地蔵之化を成すや、益を生後に被らしむ。

 故に国主は郡郷を寄せて以て燈燭を明らかにし
 地頭は田園を充てて以て供養に備ふ。


 而るを法然之選択に依て則ち教主を忘れて西土之仏駄を貴び
 付属を抛ちて東方之如来を閣き、唯四巻三部之経典を専らにして
 空しく一代五時之妙典を抛つ。

 是れを以て弥陀之堂に非ざれば皆供仏之志を止め
 念仏之者に非ざれば早く施僧之懐ひを忘る。

 故に仏堂零落して瓦松之煙老い、僧房荒廃して庭草之露深し。
 然りと雖も各護惜之心を捨てて竝びに建立之思ひを廃す。

 是れを以て住持の聖僧行きて帰らず。守護の善神去りて来ること無し。

 是れ偏に法然之選択に依る也。
 悲しい哉、数十年之間百千万之人 魔縁に蕩されて多く仏教に迷へり。

 傍を好んで正を忘る。善神怒りを為さざらん哉。

 円を捨てて偏を好む。悪鬼便りを得ざらん哉。
 如かず、彼の万祈を修せんより、此の一凶を禁ぜんには矣。



― 解説 ―

【聖道・浄土の二門】
道綽が爾前経について聖道門と浄土門とを立て分け
聖道門を捨て浄土門に帰すべしと述べたのを法然が拡大解釈して
聖道門のなかに法華経を含めたと言われる。

【乃至】中略の意味 

【仏心】禅宗のこと。

【難行道】
成仏するのに
自力によって長い間修行を重ねるという困難な修行の道のこと。
またそれを説いた法門。

【聖道門】
自力によって
この現実世界で成仏することができると説く法門。
浄土門に対する語。

【善導和尚】
中国唐代の浄土宗の僧(六一八年-六八一年)。
その出生は明らかでないが
幼くして出家し、太宗の貞観年中に西河の道綽の九品道場に赴いて観経を信仰し、
都に入って人びとに称名念仏を勧めた。
柳の木から地上に身を投じて自殺したという伝説がある。
法然の教義の根幹は善導である。

【百即百生】
阿弥陀を念じ、その名号を称えれば、百人が百人ともに、極楽浄土へ往生できるという。

【千中無一】
善導の「往生礼讃」にある。浄土三部経以外の諸経を行ずるを、
雑行として誹謗し、どんなに読誦しても千人に一人も成仏できない
また阿弥陀以外の諸仏菩薩をいかに礼拝しても
千人に一人も得道しがたいといった。

【大般若経】
諸法皆空を明らかにした、600巻に渡る大乗仏典。

【定散の門】
善導は観無量寿経で
極楽浄土へ往生する方法として、十六種の観法と三福の修行とを説く。
この十六観のうち、前の十三観を定善といって
浄土の荘厳な有様や仏菩薩の相好を諦観するので雑念を払い
精神を統一しなければならない。
後の三観および三福は
散乱の心のままで念ずることができるので散善という。

【三心】
至誠心・深心・回向発願心をいう。
この三心を具足すれば必ず極楽浄土へ往生することができるという。

【観無量寿経】
無量寿経、阿弥陀経とあわせ、浄土三部経。略して観経。

【一代五時之肝心たる法華経】
中国天台大師は、阿含経典から大乗経典にいたるまで
あらゆる経典を釈迦の実際の説法を記録したものと考え
これを華厳・阿含・方等・般若・法華にジャンル分けした。
中でも、法華経が一番グレートだとした。
日蓮も、この立て分けに基いて、法華経の正義を主張している。
だが、現代仏教学では、大乗仏典は、釈迦滅後数百年後の作とし
釈迦の説法を反映しているのは、むしろ阿含経典であるという見解が色濃い。
また、天台大師の立て分けも
仏教一般の考え方ではなく、天台宗内でしか通用しない。
他宗派は、他宗派流の立て分けをしている。

【弥陀三尊】
阿弥陀仏と、その脇士の観世音・勢至の二菩薩。
浄土宗では、この三尊を本尊とする。
基本的に、それ以外の仏菩薩は拝まない。

【伝教】
伝教大師最澄。
わが国に天台宗をもたらし、生涯、大乗戒壇の建立に献身した。
しかしながら、国家のバックアップを得るために、密教に手を出した。

【義真】
伝教大師の跡を継いで比叡山の座主となった。

【慈覚】
比叡山第三の座主。
入唐し、天台、真言、禅等を学ぶ。東寺の真言に対して台密を立てた。

【智証】
比叡山第五の座主。天台宗寺門派の開祖でもある。
入唐し、天台山等に学び、インド僧から「梵字悉曇章」を学んで梵学をうけ
法全から密教を授かって六年後の天安二年、帰朝した。
慈覚以上に真言の法を重んじた。

【一朝】日本をさす。

【現当】
現世および未来世。


(参考資料)
http://park5.wakwak.com/~soka/risshou.htm
http://www.sattva.jp/data/g-list2.html
(関連スレ)
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1131439444/
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by eco_eco69 | 2007-04-11 02:54 | 立正安国論
― 立正安国論(4) ―


― 原文 ―

客猶お憤りて曰く 

 明王は天地に因って化を成し
 聖人は理非を察して世を治む。
 世上之僧侶は天下之帰する所 也。

 悪侶に於ては明王信ずべからず。
 聖人に非ずんば賢哲仰ぐべからず。

 今賢聖之尊重せるを以て
 則ち 龍象之軽からざるを知る。

 何ぞ妄言を吐きて強ちに誹謗を成さん。
 誰人を以て悪比丘と謂う哉。
 委細聞かんと欲す矣。



― 現代語訳 ―

客はそれでもまだ憤って、次のようにいう。

 賢明な帝王は
 天地を貫く道理にしたがって万民を導き
 聖なる君主は「正しいこと と、間違っていること」 との
 道理をわきまえて世を治めて
 今の世の僧侶は
 国じゅうの人びとの帰依するところであります。

 もし、貴僧の いわれるように
 「法を破り国を破る悪僧」であれば
 賢明なる帝王が信ずるはずがありません。

 また 、聖師でなければ
 賢人・哲人といわれる人びとが、仰ぐはずがありません。

 賢王や聖人が尊敬し 重んじていることからみても
 今の高僧たちが立派な僧侶であること が、わかります。

 それなのに貴僧は何故
 みだりに人を迷わす言葉を吐いて そのように謗られるのですか?
 いったい誰を指して悪僧だ と、いわれるのですか。
 くわしく承りたいものです。


(参考資料と現代語訳)
http://park5.wakwak.com/~soka/risshou.htm
http://www.sattva.jp/data/g-list2.html
http://www4.ocn.ne.jp/~sen0001/gosyo02b.html
(関連スレ)
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1131439444/


読んでいて
「なぁ~んだ、今の創価学会と同じじゃん」・・・と思った方
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by eco_eco69 | 2007-04-09 22:23 | 立正安国論
ユーチューブで大注目 あの候補の映像が見られなくなる?

外山恒一氏の政見放送
http://www.youtube.com/watch?v=akljK55TFLw&mode=related&search=

「当選したら、奴等はビビる。 私もビビる」
選管もビビッているじゃん 

事の発端は、外山恒一氏の政見放送の内容が
大衆の心に伝わりすぎた為
政見放送終了後からyou-thbeにRemixされて流出されるは
サンプリングされてフィーチャーされるは
探偵ファイルにも話題が上る始末

処が、公職選挙法の絡みで
告示期間中は指定された機関以外での宣伝活動は
原則 禁止されている
(勿論、候補者や政党の事を語ることも禁止)

ところが、この事は以前から
ネットが普及するにつれて問題視されていたのだが
ネットの位置が、「電気通信事業法」にあたる
公の媒体に該当するのか
私的な媒体に該当するのか?が 非情に曖昧で
更にプライバシーの問題やら言論の自由などが絡み
更に責任の所在が特定できない複雑な絡みなどもあり
また、この問題が
日本国内だけの対応では限界まで達している為
議論が進んでいないし 取締りも難しい

本気で取り締まると刑法が絡んでくるから
結果的に 精神的な暴力を加え傷をつける事になる

第一、日付の違いだけで
「犯罪者か犯罪者じゃないのか?」が決まると言うのは
余りにも不条理だし
また過去のログはどうなのか?と言う問題も絡んでくる
そこまで規制をすると
今度は政党や政治家権力者など
不正が追求されにくい環境などが出来てしまい
返って不正を見逃す野放しの温床にもなりかねない

また、大量の逮捕者を出す結果となり
そうなってくると
今度は逆に選管や政治家などに対し
有権者から反発が出てきて選挙に影響を及ぼす
本末転倒な事が起きかねない上
下手すれば
現職の各政党議員丸ごと対象になる事だって否めない

更に、削除するにも これ・・・ 膨大な数にのぼっており
その結果、オリンピックが終了してても、まだ会場を作っている
アテネオリンピックみたいな状態に陥っている上
しかもアクセス数が85万6000件もあって、
提供する側にも無駄な労力が増えて負担増となる

しかも、このニュースで
アクセス数が更にパワーアップしているだろうから
返って「焼け石に水」なんだよなぁ・・・

それでも個人的に告示期間中はなるべく
候補者ならびに政党の事は書かないようにはしているが
やっぱり限界はあるねー

それにしても、みんなキャッチが早いよ
家は創価の事で頭が一杯一杯だったので
今日の今日(4/8の時点)まで気付かなかった 

あたいも、選挙公報を読んだ時点で
「コイツは来るなぁー」 ・・・とは、思ったが
やっぱり、期待通りの政見放送で
予想以上に心を掴んだ人が多かったのねん♪
いやぁ~ 同じアレでも最早「桜金造」を超えたよ

因みに、とある幹部の方にこの事を話したら
相当早い段階でこの事をキャッチしていたご様子で
ひきつった表情で一言
「ecoさん、気持は解かりますが
 感化されないでくださいよ (T-T)

・・・と、祈られてしまった。。。。

んが、しかし・・ コレは・・・・・・ 

私が桜金造氏に対し
ココのブログや2ちゃんねるなどで書いた記事の内容に
刺激を受けたのか如何かは存じませんが
あの政見放送が
あまりにもタイムリーな内容の訴えだっただけに
金造よりも私の願いを聞いてくれ
・・・・と言わんばかりに
アテクシに対し、誓願の祈り♥
・・・で、訴えかけているようにも思えて・・・

最早、奴の演説は
「随筆:人間世紀の光」を超えているなw

先生も今月末の幹部会での指導
「人間世紀の光」に、活用されて見ては 如何でしょうか........

異端的極左活動家、反体制知識人
イマドキ政治犯、外山恒一(36)はこういった

「今は ただ スクラップ&スクラップ 
全てをぶち壊す事だ!
諸君の中の多数派は 私の敵だ!

・・・・と

(そういえば奴は他人の文章を、全く引用していなかったな・・・)


処で 告示期間中の書き込みについて話を戻しますが
告示期間中は創価学会の話もダメなのかねー 

創価と公明は、一応、政教分離原則は謳っているが
それは建前上の話で、「帝国zx」伯 壬旭氏が指摘するように
構図が
公明党→学会ではなく、学会→公明と言う複雑な状態のため
厳密に言えば「分離しているのかどうか?」が判らないのが現状で
しかも政党結成の理由についても
元々、御書に、その事が書かれていた事もあり
その事に基づいて結成された経緯がある為
いざ、議論となると、概念が双方で異なるので 理解が得られず
恐らく水掛論の不毛になるでしょうね 

まして竹入氏の事
日連正宗の教義のことまで持ち出されたら、余計 おかしくなるでしょう
だから民主党も創価も自民党も共産党も
蛇と蛙のにらみ合いばっかの三竦み状態が続いてしまい
悪循環で終ってしまう訳です

ロンギ ナンテ イクラ ヤッタッテ ムダ ダ!!!!!

そんな話は長くなるから
最早 こんな国は てんぷくトリオしかない!と考える
建設的な提案など無い イマ☆ドキの方 ココに一票を
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by eco_eco69 | 2007-04-09 06:37 | 東京都知事選:2007