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以常見我故 而生恣心 放逸著五欲 堕於悪道中 我常知衆生 行道不行道 随応所可度 為説種種法 毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身          南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経。


by eco_eco69
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池田大作氏の見解による本尊の具体的な内容(2)

以上のように申しあげますと、一つ疑問が出て来るかも知れません
それは・・・・・

 “原理上 確かにそうであろうが、現実問題としてみるならば
  同じく 一個の生命体 と言っても
   日蓮大聖人は悟っておられる 我々は毎日迷っている
  従って 両者の間には
   埋め尽くせない、超えがたい断層が存在している
  ・・・のではないか?”


・・・と言う事であります。

だが、この疑問に対しては日寛上人が「寿量品談義」の中において
まこと鮮やかに回答を与えられているのであります。
即ち・・・・・

 “仏果を成ずる事は因行による
  因行に励む事は信心による
  信心を進めることは法を聞くよるなり
  聞かずんば信心生せず
  信心 生せずば修行を怠る

  修行を怠れば未来何になる処に生るべしや

  仍て【しきりて】歩を運んで聴聞肝要なり
  聞く裏に信心生ず、其の間が仏なり

  一念 信心を生ずれば 一念の仏
  二念 信心生ずれば  二念の仏即乃至
  一時 信心を生ずれば 一時の仏なり

  一日 信を生ずれば  一日の仏なり乃至云々・・・

  信心生ずること必ず聞くに由るなり
  たとひ信心を生ぜざる族ありとも

  聞きさへすれば功徳無量なり”
  (堀日亨編纂 「富士宗学要集 第10巻 疏釈部(2)」 資料がないので確認が出来ず不明)

・・・・・と 先ほどの疑問は
この日寛上人のお話によってお考えいただければ
道理の上から おわかりいただけるかと思います


つまり大聖人と私ども凡夫と言う両者の間には
 “法を聞くこと、信心と言う橋を架ける事”
・・・によって
 “立派に往来できる”
・・・と、日寛上人は教えておられるのです。

「一念 信心を生ずれば 一念の仏」で あるならば
願わくは、一生信心を貫いて、生涯の仏たらんことを願いきって
この世に生きること、それ自体が、楽しくて楽しくてたまらない
www**ww*w\(~▽~@)/♪♪♪ ~∞**www***w

・・・と言うような人生を
生ききって参りたいと思いますが 皆さん如何でしょうか?

1974年(昭和49年)4月28日
金沢市 石川産業展示館にて開催された「北陸広布20年記念総会」での指導より



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by eco_eco69 | 2007-11-18 08:49 | 資料